私はこれまで、本を読むということに頼って勉強してきたので、大体読書遍歴を述べることが自分の勉強遍歴ひいては思想遍歴になり、勉強という言葉をやや広くとれば、私はこれまで勉強以外にほとんど何もしてこなかったので、読書遍歴を述べることがおおよそ半生を述べることの代わりになる。それで、読書遍歴をまとめ直して自己紹介と題しておいた(自己紹介)。
そこで「読書篇」と書き添えておいたのは、あまり自己紹介らしくない文章になってしまったからそう書いたまでで、別に「○○篇」を書こう、などと考えていたわけではなかったが、私の大学での学びの総括というのは、私自身にとっても大切だし、私について知って頂くにあたっても有用だろうと思うので、「大学篇」として新たに加えることにした。
三回生の半分くらいまでは手あたり次第本を読んでいたが、卒論を書くにあたって何かに集中しなければならなくなると、ヘーゲルを選んだ。最初はテオドーア・アドルノという人の、社会というものの不如意な面についての話に興味があったのだが、アドルノの『三つのヘーゲル研究』というのを読んで、おもしろいと思ったからヘーゲルを選んだのだった。社会の問題はもちろんヘーゲルにもある。彼の基本思想に「精神」の概念があって、不正確を恐れずに言えば、この世界の歴史は「精神」の運動である、個人はその道具、というより駒に過ぎない、というような世界観である。そういう観点から社会というもの、特に国家というものを見直してみると、個人の立場から見るだけでは見えないものが色々見えてくる、そういうものを学んだように思う。
しかしそれは私の卒論の対象ではなかった。私が読み込んだのは『論理の学』である。それは、再び大胆に言えば、考えるとはどういうことかについて考える営みである。思考が思考を生む、その内省の展開を丹念に追うのである。論理学というものについて、私は当初、いかなるときでもいかなるところでも通用する論理の普遍性、というようなものを予想していたのだが、ヘーゲルをじっくり読んでいて私が学んだのは、普遍性とは逆に、思考するという活動の一回性であり、捉え難さであった。そもそも私が論理というものに持っていた興味は、ユークリッド幾何学的なもの、すなわち論理の道筋というものが万古不変だということの不思議と、その普遍妥当的な論理の力への関心であった。論理というものが深く分かればあらゆるものがクリアに見えるのだろうというような夢を抱いていた。ヘーゲルが、その夢を砕いてくれた。それは、ニュートン力学の透明さが、場の力学や量子力学の登場によって解体されたようなものかもしれない。この世界は論理の糸で織り上げられた布よりも、多種多様な、無数の論理の磁場が働き合っている歴史的世界、というのに近い。社会に関しても、論理に関しても、ヘーゲルに学んだのは歴史ということ、より正確に言えば、私たちの生きているこの世界が、理屈では割り切れない歴史に貫かれているということだった。
大学院の卒論で対象にしたのはエルンスト・ブロッホだが、彼から学んだのは、一見もっともらしい理想、情熱的な、愛に溢れた夢が、時として、この世界とは別に「あるべき世界」、「本当の世界」というようなものがあるかのように考える空想に基づいているということであった。そうした空想に比べて現実の我々は、知的にも実践的にも無力であって、この世界の他に生きるべき世界も愛すべき世界もない。
そんなことを考えているうちに、本居宣長の「からごころ」という言葉が、だんだんと腑に落ちてきたような気がする。からごころとは、この世界についての抽象的な理解を言うものだと思う。それでは具体的な理解とはどういうことを言うのかというと、それは宣長にあっては、『古事記伝』におけるような解釈学的な理解であり、歌や物語に現れた「あはれ」という痛切な感覚であったのだろう。それは、あくまでもこの地上に生きる無知で無力な人間の一人として、謙譲に世界に向き合うことだ。ヘーゲルとブロッホについて学ぶことで、私はただ、抽象的な理屈の無力さを学んだのである。しかしそれは同時に、人がどれほど抽象的な理屈に憑りつかれやすいかを学ぶことであり、抽象的な理屈に憑りつかれないでいるためには、どれほどの謙譲さが必要かを学ぶことであった。
さて、ヘーゲルとブロッホに謙譲の心を学び、それで、それで?
それが結局どうしたというのだ。もちろん、自分としては何も不満はない。多くの悩み、迷いに囚われないでいられるようになったように思う。しかしそれが自分以外の人にとって何なのか、自分はそれで何ができるか、と考えると、いささか心許ない。私は悩んで迷って、一旦、落ち着く所まで来た。そういう得難い経験を、ありがたくも得てしまった。その恩返しをしないわけにはいかない。しかし私と同じことを人に勧めるわけにはいかない。人それぞれ性格も、境遇も違う。ましてや、いわばその「学びの成果」を人に要領よく伝えるなどというのも無理な相談である。どこまでも、謙譲の心を養いつつ、恩返しをしなければならない。
さて、ここで教育に話題を変える。教育の目標の一つに、「一人の主権者たる日本国民として自立してもらう」ということがある。このことは、教育基本法および日本国憲法の精神に則したものである。教育基本法の第一条は以下の通り。
「第一条 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」
この内、「平和で民主的な国家及び社会の形成者」という言葉は、憲法前文の一文目と呼応している。
「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」
教育基本法第一条の方には、「自由」という言葉はないが、もしそれを「平和で民主的な」という文言に間接的に含まれていると解釈してよいなら、「平和で民主的な国家及び社会の形成者」という言葉は、「日本国憲法において宣言されているような日本国民」と読み替えてよいと思う。日本国憲法は、平和、自由、民主を否定の余地のない価値として、また日本という国の核心をなすものとして宣言しており、教育の使命の一つは、それを確かなものとすることである。言い換えれば、平和、自由、民主という価値を尊重し、それを批判し、保持することができるような国民を育成する、というのが教育の仕事である。しかしその理想は余りに崇高である。人は平和を壊し、自由を進んで放棄し、自らの政治的責任を知らない。しかも、ほとんどすべての場合、そうしていることには無自覚なのである。そのことは、少し歴史を学び、我が身を顧みれば分かることだ。そして、人類が努力し、少しずつ変わって行けば、人は平和と自由と民主の価値を少しずつ理解し、それを尊重するようになるだろう、というような、素朴な進歩史観も、歴史にそぐわない。
それでも平和、自由、民主を尊重し保持する国民の育成が教育の目的であるというのは、揺るぎなき事実だ。実際、日本国憲法は民定憲法、すなわち国民が制定した憲法なのだ。憲法の内容を尊重していない人が、憲法の制定者であることは出来ない。憲法には改正の手続きがきちんと記載されているのだから、現代の私たちも制定者の立場にいることに変わりはない。つまり、日本国憲法は、自分の制定者であり日本の主権者でもある「国民」というものを、平和、自由、民主という基本精神を尊重し、批判し、保持する人々として前提しているのである。国民がそういうものでなければならない以上、教育はその意味での国民を育てるものでなければならない。
教育者とは前記の目的の達成を目指すもののことだ。そのときまず、教育者自身が、平和、自由、民主を尊重し、批判し、保持するということは当然ながら極めて重要なことである。その上その精神を、後進の者たちに伝えなければならない。それに必要なのはひとえに、自己吟味に次ぐ自己吟味である。
要するに、私は大学でヘーゲルとブロッホを研究したが、それによって学んだのは謙譲の心であった。そうしてそれこそが、教育者に必要な資質であったのだ。平和、自由、民主ということについて、私ほど考えている教育者は極めて稀だと自負している。