選挙当日だからか、いしだ塾の本格開講が近付いてきたからか、何となく心が落ち着かない。そういう日は、思うことをノートに書きつける。「心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」、兼好も、こんな思いだったのだろうか、などとは愚にもつかぬ空想。
アドルノが読みたい、と思った。時々そう思う。いしだ塾の私設図書館化を目論むカオリさんに、図書館における本を選んでもらった。ついでに、アドルノの『ミニマ・モラリア』と保田與重郎の『鳥見のひかり』等を持って帰った。Es gibt kein richtiges Leben im falschen. 不正に怒りを感じるとき、自分の手が汚れていないかのような錯覚に陥ってはならない。戦争は特に、自分が不正に対する純然たる反対者であることができないということを強く意識させるものだろう。戦争が権力者と資本家の懐を肥やすために行われるのだとしても、そのために無力な市民たちを死地に追い立てるのと同じ暴力は、どんな平和な社会においても働いているのである。
その後、インド料理屋のアラティに行って、夕飯を食べた。
開票のニュースを見た。
『ガリヴァー旅行記』の最後の章「フウイヌム国渡航記」は、善良な人々の国に行く物語だが、これはモリエールの『人間嫌い』や屈原の『漁父之辞』を思い出させる。私はいつか、こうしたいわば「遁世(厭世)文学の系譜」をまとめてみたいと思っている。
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