Record player, cookbooks, jarred spices, fresh peas, and a bowl of mixed vegetables on a wooden kitchen counter by a window

5月4日: 閉店することになった宮脇書店に。本の整理。

今日はいろいろ聴いた。Dvorak のミサ、Scarlatti のピアノソナタ、Fauré のレクイエム、Mozart のレクイエム、Mendelssohn の第2、第3、第4。Prokofiev の交響曲第五番、Stravinsky 春の祭典

スナップエンドウをツナマヨ和えと卵炒めにし、ちりめんと塩辛とレタスでチャーハン。

近所の宮脇書店が近く閉店するというので、行くことに。『八十亀ちゃんかんさつにっき』12,13巻と、文具が40%引きということなのでホワイトボードイレイザーを買ったほか、光文社古典新訳文庫でユングの本が出ていることや、『綿の帝国』、『オウム真理教の精神史』、『修験道大系』など、興味深い本の存在を知ることができた。

そのまま「私設図書館すやちい」の開館のために向かう。

読みたいと思って手元に置いている本がいかに多いか。これは良くないことだ。私は昔から、雑食の癖がある。Ars longa, vita brevis であって、あれもこれもできる程の暇はない。手許の本を、とにかく片付けようと思った。

まず上田三四二『徒然草を読む』、第一章、第二章だけ読む。河上徹太郎訳ヴェルレーヌ『叡智』は最初の10ページ余りと、あとがきを読む。内藤湖南『日本文化研究』は、ぱらぱらとするだけで片付ける。その他十冊余りを部屋から出してしまって、部屋の本を、参照したいときのために手元に置いておきたいものと、遠からず一読したいものとに分ける。それでもまだ、50冊はあるのだから、困りものだ。こういうところには、執着ははっきりと見える。

帰って、冷凍の、キノコとジャガイモのソテーと、キャベツの千切りとミニトマトを食べて、サリンジャー『ナイン・ストーリーズ』の「バナナフィッシュ日和」(これはピーターソンの本に書いてあったので気になったのだ)、龍應台『台湾海峡一九四九』を読む。

こんな風に散漫に読むのではなくて、的を絞って本を読む方がいいに決まっている。実際そう思って、一度は落ち着きかけた時期もあったような気もする。それも気のせいだったかもしれないが。本を読むなら、種々さまざまな本を読み過ぐしていくより、ずっしりとした本を繰り返し熟読するというような読み方がよい。それを実際するなら何にするだろうと考えると、シェイクスピア、ミルトン、カント、アドルノ、伝習録、教行信証、秋声、宇野浩二、ワイル『空間・時間・物質』、杉浦光夫の『解析入門』という名前が挙がる。こんなに挙がっちゃダメである。いずれにせよ、塾の方の勉強が行くところまで行かなければ、そういうこともできないようである。

授業の準備をしなければならない。だからこういう好きな本を読んでいる暇はないはずなのだが、「しなければ」、「しなければ」と思うと気が詰まる。気が詰まると肝腎の準備もはかどらない。更に悪いことには、「しなければ」と思ってそれができないと、ストレスになる。そうやってストレスを抱えると安眠もできない。ネットで見たことを思い出した。休むというのは寝ることだけじゃなくて、やりたいことを適度にすることも大切だと。それじゃあと思って、本いじりをしていると、なるほど普段硬直している頭がみるみる流動するようだ。

毎晩必ず法律の勉強をするようにはしているが、これは気晴らしとしての効果はそう高くないらしい。

名古屋でマーラーの第十番を演奏するそうで、調べたらそう高くもなく、空席がまだあるようだったが、あまり間近のことなので、諦めた。


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