初めまして!!
いしだ塾の塾長、石田喜嵩(よしたか)です。
幼少の頃
私は1999年5月15日に、愛知県一宮市に生まれました。
小さい頃は、正しいことにこだわる性格だったようです。
幼稚園で、塗り絵をしている友達に、「その色間違ってるよ」と言うと、「塗り絵は好きな色で塗っていいんだよ」と言われて、驚きました。
喧嘩をしているところを、幼稚園の先生に叱られて、ことのおこりを説明しようとしても聞いてくれなかったことは、ショックでした。
ものごとは正しくあるべきで、正確な事実は知られるべきだというような感情が強くあったのだと思います。
習い事では、英会話教室、スイミング、詩吟、柔道をやっていました。どれもそれぞれに楽しかったです。特に柔道は、高校まで続けることになります。
小学校のころ
小学校は瀬部小学校という所に通いました。地元の臼台祭りというお祭りとその稽古に参加するのが楽しかったです。公民館に先輩や大人たちが集まって、笛や太鼓の練習をしては、おしゃべりしたり、遊んだり、スイカ割りをやったこともありました。年齢も、職業も、ばらばらの人たちが一つ所に集まって同じことを練習しているというのが、なんとも得難い経験だったように思います。
中学・高校のころ
中学は、大成中学校というところに行き、そのまま高校まで通いました。この頃から、徐々に哲学への関心が育ち始め、あれこれの哲学書を、手に取るようになります。京都大学には、かつて西田幾多郎などの哲学者が所属しており、当時も、彼らの流れを汲む先生方や、現代のイタリア思想を紹介している岡田温司さん、精神分析の専門家である松本卓也さんなどが所属していたことで、京都大学入学を目指すようになります。
大学のころ
京都大学に現役で合格すると、サークルやアルバイトはあまりせず、なるべく多くの時間を勉強に費やそうと努めました。(もちろん、それが可能だったのは家族の手厚い支援のおかげに外なりません。ありがたいことです。)四年目で、ひとまずの成果として卒業論文を書き上げて提出するまでは、「何はさておき、寸暇を惜しんで勉強しなければ」という焦りに囚われていたように思います。
元不登校の同級生が、不登校の子たちを指導したいということで、不登校専門の個別指導塾をやり始めました。

嵐山、夕暮れの渡月橋。お気に入りの場所の一つです。
大学院のころ
そのまま修士(博士前期)課程、博士後期課程と進学して、一人前の研究者になるようなつもりでいたのですが、修士の一年目にして、研究者たちの世界よりも、いろいろな仕事をして暮らしている人々や子供たちの世界で生きたいと思い、博士課程には進学しないことに決めます。
博士課程に進学しない代わりに、修士課程で一年休学をして、修士論文以外のことで、やり残したことをなるべくやることにしました。自動車免許を取りに香川県の観音寺に行ったり、研究会の用事で東京に行ったりするうちに、旅行の楽しさを覚え、軽井沢、神戸、奈良、熱海、鎌倉、敦賀など、積極的に出掛けるようになりました。日本近代文学に親しむようになっていたことも、旅行に出かける理由の一つになりました。他にも、ダンテの『神曲』を読んで感動して、頻りに人に勧めていたのも覚えています。シェイクスピアや日本近代文学を読んで、友人と文藝誌『灯台』という同人誌を始めたのもこの時期です。
大学院を卒業して
さて、大学を卒業してからしばらくして、いしだ塾を開くのですが、資金集めや教材作りの時間を作るために、一年間、いろいろなところで働いていました。工事現場や倉庫、オフィスやスーパーで働く経験は、(特に、勉強に関する焦りや執着がなくなった後だったので)大変得難いものでした。
そうして、2026年3月、いしだ塾が始まりました。
もし、更に知りたいという方がいらっしゃれば、以下のページをご覧いただければ幸いです。