文学は男子一生の事業とするに足る!

愛知県一宮市の個人塾、いしだ塾の塾長、石田喜嵩です。

小林は「様々なる意匠」で「批評とは竟に己の夢を懐疑的に語ることではないのか」という名文句を書いていますが、これは近代にいたって「己」というのが見過ごせないものになってしまったということと同時に、「己の夢を懐疑的に語る」ことができれば、相手はなんでもいいということをも含意しています。

宣長も含めた批評家たちが、「文学」というものへのこだわりを表していないとしたら、多くの小説家と詩人がいていくつかの優れた作品があったとしても、近代の日本にとって「文学」とは何なのでしょうか。

かつては「人生派」と「芸術派」という区分が成立しているように見えました。

「文学は男子一生の事業とするに足らず」と言った二葉亭四迷に代表される「人生派」に対して、芸術というものの価値を信じた人々がいました。
夏目漱石は文学を通して近代日本の批判者たらんとしました。
田山花袋は文学に身を捧げて「真」という価値を実現しようとしました。
葛西善蔵は破滅的な生活の中で、文学に救いを見出しました。

それぞれ形は違えど、文学というものに場合によっては絶対的なまでの価値を見出すことができたのです。

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