だけど私は書きたかった
愛知県一宮市の個人塾、いしだ塾の塾長、石田喜嵩です。
岡林信康の『手紙』を初めて聞いてから数日を経て、改めて聞きました。
私の好きな みつるさんが
おじいさんから お店をもらい
二人いっしょに 暮らすんだと
うれしそうに 話してたけど
私といっしょに なるのだったら
お店をゆずらないと 言われたの
お店をゆずらないと 言われたの私は彼の 幸せのため
身を引こうと 思ってます
二人はいっしょに なれないのなら
死のうとまで 彼は言った
だからすべて 彼にあげたこと
くやんではいない 別れても
くやんではいない 別れてももしも差別がなかったら
好きな人とお店が持てた
部落に生まれた そのことの
どこが悪い どこがちがう
暗い手紙に なりました
だけど私は 書きたかった
だけども私は 書きたかった
この歌詞は、実在の人物の遺書をもとにしたものだと言います。
その遺書を紹介しているブログがありました。
「だけど私は書きたかった」(遺書では「かかずにはおれなかったのです」)という言葉が重く響きます。
遺書は、両親にあてられたものです。
両親に知ってほしいという思いと、やるせない苦痛をどこかに表現しておきたいという思いと、ないまぜになったものでしょう。
しかし、岡林の歌では、本来の宛先である両親の姿は影を潜めています。
親族に宛てて書くことが明らかな「遺書」ではなく、「手紙」になっています。
つまり、「だけど私は書きたかった」という言葉が、両親ではない何者かに向け直されているのです。
何者か、とは差別構造を支えているものであり、つまりは私たち自身でしょう。
どうにもならない苦しみ悲しみを、誰かに聞いてほしい、この社会に生きている日本人に聞いて貰わなければならない。
これを聞いたら汚辱にまみれた現実を直視しないではいられないではないか。
自殺した人の身に成り代わって、岡林はそう歌っているようです。
何の罪もない人が、この人が、自ら命を絶ったのだ。
その前に「かかずにはおれなかった」ことがあったのだ。
お前はこれを無視できるのか。
人の心というのはそんなに情けないものか。
そういう痛切な言葉を、日本のメディアは耳に入れる前に「放送禁止」にしたのです。
事なかれ主義、日和見主義。
部落民を社会から排除したのも、事なかれ主義と日和見主義ではなかったでしょうか。
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