祈りとしてのニュース

愛知県一宮市の個人塾、いしだ塾の塾長、石田喜嵩です。

BBCを見て

ニュースを見ていると暗くなります。
悲しい出来事ばかりです。

日本のニュース番組から受ける印象はまた違うような気がします。
昨今大きなニュースになっているネパールとチベットの洪水および土石流の話題を比べてみました。
日本のニュースを見ると、「現地に観光に訪れていた日本人は…」という。
BBC では、災害があった地域の地理的特徴や、救援の現状を比較的詳しくつたえています。
また、チベット側の報道を中国が厳しく制限していることも指摘しています(この報道に対する批判がヤフーニュースにありました:https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/532251b47901bb563a52f761d1f75fc168c734e5)。

危うい日本の文化

森達也『放送禁止歌』の中で、デーブ・スペクター氏が海外のニュースで日本人のことを何度も伝えるのは「島国根性」だといっていたのを思い出します。
森さんは別のところで、日本では犯罪率は比較的高くないのに、犯罪報道は多いということを指摘しています。

明治以後の日本は、日本の伝統を破壊し、西洋的なものをかなり受け入れたにもかかわらず、キリスト教については概して無知を貫いています。
さらに敗戦してからは、アメリカの大きな影響下にあり続けています。
独立心を持った確固たる一国家、一国民という意識を作ることができず、他方で海外の世界は異質のものに見える。
つまり、積極的には国家、国民という意識を作れないが、被害者としてのアイデンティティは容易に確立されます。
そういう不幸な境遇が、報道の姿勢にも表れているような気がします。

日本の番組で不幸なニュースを見ると、「自分は巻き込まれなくてよかった」、「自分が巻き込まれないように用心しなきゃ」と思わされます。
要するにまず他所事であり、次に不安があおられます。
外国の番組では、他所事ではないようです。
不幸にあった人々に、素直に心が寄せられます。
日本のニュースはまるで公共の噂話のようです。
隣の芝をうらやんでいるだけなのかもしれませんが。

「朝早く新聞を読むのは現実主義者にとって朝のお祈りのようなものだ」とヘーゲルは言います。
日本のニュースには、祈る場所が少なすぎるのではないでしょうか。

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