秩序としずけさ
愛知県一宮市の個人塾、いしだ塾の塾長、石田喜嵩です。
京大式カード
梅棹忠夫という民族学者が、『知的生産の技術』(1969年)という本を書いています。
ものを考えたり、読んだり書いたりする際に気を付けるべきことを述べたものです。
中でも有名なのは「京大式カード」というもので、B6サイズのカードを持ち歩いて、ノート、日記、手帳などの代わりとしてそのカードを使うということを、『知的生産の技術』で書いています。
カードを使うと、素早く「くる」ことができるし、並び替えることができます。
この、並び替えるというのが、案外重要です。
全く新しく何かを知るということは、ありません。何かを知るということは、すでに知っていることと関連付けるということです。そして、新しいものが関連付けられたとき、すでに知っていること動詞の関係もまた変化します。
要するに、学習というのは常に、新しい知識の積み重ねというより、すでに知っていることの並べ替えなのです。
そう考えたとき、カードというのは非常に合理的です。書いた時点では何にどう関連して、どういう順番で並ぶかをあえて決めないで、後からそれを考えるというのは、ものを学ぶ場合、理にかなっています。
生成AIが行っている「学習」もまた、膨大な情報を処理して、絶えず関連付けを改善することによって行われているのではないでしょうか。
そういう意味では、梅棹は生成AIを先取りしていたといっても大げさではありません。
秩序としずけさ
私にとって、特に面白かったのは実はカードの話ではありません。
この本ではファイルは立てて置いておかなければならない(これはこの本の影響で私も実践しました)とか、作業スペースと知的な仕事をするスペースは分けておかなければならないとか、カード以外にもいろいろなことが書かれています。
しかしそれらは、「どうやって仕事の能率を上げるか」という話ではない、と梅棹は言います。
いい方法を探して、より効果が上がるようにするということですから、「能率」を上げる話に見えますが、そうではないというのです。
梅棹の言葉を引きましょう。
これはむしろ、精神衛生の問題なのだ。つまり、人間を人間らしい状態につねにおいておくために、何が必要かということである。かんたんにいうと、人間から、いかにしていらつきをへらすか、というような問題なのだ。整理や事務のシステムを整えるのは、「時間」がほしいからでなく、生活の「秩序としずけさ」がほしいからである。(中略)
知的生産の技術の一つの要点は、できるだけ障害物をとりのぞいてなめらかな水路をつくることによって、日常の知的活動にともなう情緒的乱流をとりのぞくことだといっていいだろう。精神の層流状態を確保する技術だといってもいい。努力によってえられるものは、精神の安静なのである。
能率ではない、精神衛生だという言葉は、スマホの普及した現代の私たちには、ますます理解しやすいのではないでしょうか。
私たちは、つい能率を気にしてしまいます。
「こんなことに時間を使うならXXしていた方が余程意味がある」、「これはしても意味がない」、「マルチタスクの方が早い」...。
たしかにそうかもしれません。しかし精神の安静は、遠ざかるばかりです。
「能率ではなくて精神衛生」という言葉が現代人には理解しやすいといいましたが、そんなことはないかもしれません。もしかしたら私たちは、梅棹の言う「精神の安静」という言葉の意味が、もう分からなくなっているのかもしれないのです。
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