読み書きそろばんの弁
愛知県一宮市の個人塾、いしだ塾の塾長、石田喜嵩です。
読み書きそろばん
少し前に、「この国の教育の現状」という記事を書きました。
そこで私は、以下のように言っています。
教育の基本は昔から、読み書きそろばんである。良い指導者が、読み書きそろばんを教える、それだけで十分であり、それ以上を求めることはむしろ逆効果になることが多いであろう。要するに、教育のあるべき姿は、そうやすやすと変わるものであってはならない。
今も同じように考えています。
勉強への意欲を引き出すこと
教える者は、少しでも相手の興味や意欲をそそるようにしなければなりません。
意欲と主体性に基づく深い学びは、多かれ少なかれ意識の変容を伴います。
そういう経験の中でのみ、人は自身と世界を新たな目で見るのです。
しかし、本心から興味や意欲を持ってもらうことは、めったに成功しません。
本当に興味を持ってくれた場合でも、当人ははじめから興味を持っていたという場合が多いものです。
要するに、当人の身になるような勉強をするためには、何か予測不可能な出会いに期待しなければなりません。
勉強への抵抗を減らし、量を増やすこと
だからこそ、「深い学び」や「世界の見方」というような言葉を、あたかもそれが誰にでも出会えるものであるかのように語るのは、責任ある教育者のすることではありません。
あらゆる教育は、「学びたい」と思えない子供がいるというゆるぎなき事実から出発せねばなりません。
勉強に対する意欲を引き出してあげることとともに教育者がやらなければならないのは、嫌な勉強をなるべく嫌でないものにして、なるべく大量にやらせるということです。
上の引用で「読み書きそろばん」と言ったのは、そういう種類の勉強に他なりません。
「それ以上を求めることはむしろ逆効果になる」とは、もはや言うまでもありませんが、意欲の持てない生徒に意欲を強要したり、意欲を持たなければできるはずもない「深い学び」を目標にしたりすることの弊害を言ったものです。
「主体性」、「対話」、「深い学び」といった目標は必要ですが、そのために大多数の勉強嫌いのための基本をおろそかにすることは許されないのです。
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