九鬼の「外来語所感」

愛知県一宮市の個人塾、いしだ塾の塾長、石田喜嵩です。

少し前の日誌で触れましたが、九鬼周造という哲学者に、「外来語所感」という随筆があります。

昭和11(1926)年に書かれたものだそうです。

治安維持法が制定された翌年で、第二次世界大戦に向けて緊張感が高まっていく時代です。

 日本語を欧米の侵入に対して防禦することを私は現代の日本人の課題の一つと考えたい。満洲へ軍隊を送るばかりが国防ではない。挙国一致して日本語の国民性を擁護すべきであろう。(中略)民衆は賢明なところもあるが愚昧なところもある。用もないのにむやみに外来語を使いたがる稚気と、僅かばかりの外国語の知識をやたらにふりまわしたがる衒気とが民衆にないとは決していえない。

なかなか「保守的」な印象を受けるかもしれません。しかし時代を考えてみればそれほど過剰ではないでしょう。

このときから漢字と仮名の使い方をはじめとして大いに変わってしまった日本語を見て、九鬼は何を言うでしょうか。

思えば、「スマホ」、「アプリ」、さかのぼれば「パソコン」、「ハードウェア」など、通信技術に関するものは訳語が作られない傾向にあるようです。

実際そういうものに「国民性」というのはあまり考えられません。

技術が進歩して便利になって、グローバル化していくと、国民性というものは発展活躍の場が減っていくものかもしれません。

いずれにせよ、漢文も古文も読めないどころか漱石さえ読めない、それどころかなんてことはない日常的な説明書きさえ読むのに苦労する人が増えた(書く方はもちろんそれに輪をかけたものです)現代では、日本語の国民性などは、事実上ないようなものです。

それにもかかわらず、日本語の国民性を守ることも国防だという九鬼の主張は、今も正当なものです。

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