希薄になった徳目はうさんくさく見える

愛知県一宮市の個人塾、いしだ塾の塾長、石田喜嵩です。

仁義礼智忠信孝悌の徳があります。
礼、忠、孝の徳などは、だんだん希薄になってきているように思います。

昔のように厳しい礼儀も、忠君の精神も、親孝行の徳も、今ではなくなりつつあるようです。

「マナー講師」なるものが表れて、マナーというものを商品にしてしまうことができたのも、マナーそのものが薄弱化しているからでしょう。

マナー講師はさておくとしても、「理由などはないが、しきたりだから」と礼儀を示されると、素直に受け入れがたい人は、少なくないでしょう。
忠君の精神という言葉、親を敬うという言葉には、どこか胡散臭さが漂いがちです。

しかしそれは、私たちがそれらと疎遠になってしまったからではないでしょうか。

漢字にせよ、かなづかいにせよ、また仏教などにもせよ、本来私たちの身近にあるはずなのに疎遠になってしまったものに対して、私たちは距離を取りがちです。

キリスト教徒にとってのキリスト教は世界そのものですが、異教徒にとってのキリスト教は特定の教義、特定の集団です。

身近に感じている人にとっては空気のように日常的なものが、私たちには警戒心をすら抱かせます。

万事なりゆき、後戻りなどできません。
しかし何かそういう徳目がなければ、人間社会はうまくいかないでしょう。

新時代の徳目は、どこからどのように芽生え、育つのでしょうか。

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