語学者の文章

千野栄一の『外国語上達法』は面白かった。類書に渡辺照宏『外国語の学び方』があるが、あれも紛れもない名著である。また、『外国語上達法』には、関口存男(「語学の神様」と呼ばれるドイツ語学者)と渡辺一夫(高名なフランス文学者)の名前が出てくるが、この二人もまた、言わずと知れた名文家である。ロシア語学者の中村白葉の書いた『ここまで生きてきて』も、おもしろい。河野与一(多くの言語に通じ、文学、哲学の本を多く翻訳している)の『学問の曲がり角』も、つい没頭してしまう楽しい本である。こう見てくると、語学に達者な人の書く文章には面白いものが多いという経験則をつい立ててしまいたくなる。

よく言うことだが、外国語を学ぶというのは、一つのものの見方を学ぶことだから、より多くの外国語に、より深く親しむことは、人生を豊かに、厚くするという意見がある。私はまだ二つの外国語しか習得していないから、それが正しいかどうか実際には分からないが、正しいのだろうと思う。その人生の豊かさ、厚みが、彼らの文章をおもしろくしているのだろうか。たぶん、そういう面もあるだろう。だがそれだけではないような気もする。語学力を維持する努力を続けるということ、翻訳をするという営みには、何か、人に魅力を添わせるようなところがあるのかもしれない。地味な、人間的な労働の為せる業か。

しかし何にせよ、言葉に愛があるというのは素敵なことだ。「ことのは」は、「こと」の「葉」であり、同時にその音は「こと」の「端」にも通ずる。「葉」を愛することは、根を愛し幹を愛することなくしてはなく、「端」を愛することは「身」を愛することなくしてはない。言葉を愛することは人間を愛することだ。


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