お休みなのでまったりとした日であった。
昼前、麻婆豆腐を作った。スープを入れ過ぎて失敗することが多いが、今回は上手くいった。麻婆豆腐は、簡単で、調理行程でいろいろ調整できるのもいいし、最後に、花椒をかけるのか、黒コショウをかけるのか、ラー油を垂らすのか、ねぎをのせるのか、そういう調整ができるのも楽しい。かけうどんみたいだ。
麻婆豆腐は、一人前なら手のひら大の豆腐で良い。それでもいつもの倍はご飯を食べてしまう。
それから、参考書を見に行って、買い物を済ませる。カオリさんが、白子と甘食を食べたことがないというので、買って帰る。「情報I」の教材に、「PDCAサイクル」やら「ブレインストーミング」やらと書かれていたのに驚く。知的財産権の話など公民科でより詳しく扱って、その他の情報の扱いは元に戻せばいいのになどと素朴に思う。技術革新、開発競争が、安全保障や経済の観点から重要なのは理解できるが、行き過ぎではないか。教育は技術力や人材の養成のためばかりのものではあるまい。ましてや現代では、経済的に要求される技術と、生きる姿勢とでもいうべき教養とが、結びつきを失い、それらの懸隔がますます広がって、架橋のすべもなくなっているように思われる。要するに、放っておけば大半の人間は「実用性」の発想法の方へ押し流され、自己を、世界を、生を問う契機から追放されっぱなしになってしまう。これは、実存の問題、宗教の問題、道徳の問題でもあるが、政治の問題でもある。自己が何もので、生きるというのがどういうことで、どう生きて行くかについて考えることのない者は、自己の国について考えることもない。自己の所属し、自己を管理統制し、自己が参与する共同体を知らないということだ。そんな人々による民主主義など、建前としてすら成り立たない。そして、民主主義が事実上成り立たないのであるならば、民主主義を前提としている憲法も成り立たず、民主主義と憲法を前提としている諸法も成り立たない。とてもとても、発展、革新、どころでない。底にヘドロがたまっているときは、いくら清流をそそいでも仕様がないではないか。
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