テンペを食べました
愛知県一宮市の個人塾、いしだ塾の塾長、石田喜嵩です。
テンペ
午前中、ずっと料理をしていました。
じゃがいもを買った翌日に、祖母の知り合いからじゃがいもを頂戴し、その翌日に母の知り合いからじゃがいもを頂戴したのです。
なにか、じゃがいもをたくさん使う料理をやらなければなりません。
ポテトサラダとコロッケを作ることにしました。
じゃがいもをまとめて茹でて、熱いうちに皮を剥きます。
それから潰して、半分をポテサラ、半分をコロッケに使いました。
じゃがいもの大きさがばらばらだったので、大きなじゃがいもは内側がちょっと硬めの食感で、よかったです。
ポテトサラダって、おいしいですよね。
久しぶりに作って食べて、改めて実感しました。
コロッケと言えば、ひき肉ですが、ひき肉がなくて困りました。
冷凍庫には、インドネシアの食品、テンペがありました。
大豆を発酵させたもので、お肉の代用に使われるそうです。
テンペを使って作ったコロッケは、とてもおいしかったです。
大豆を発酵させたものですので、味は納豆に似ていますが、においは強くありません。
文節
中学生に、文節について聞かれて、うまく答えられませんでした。
「意味のある最小のまとまり」というようなことは分かっていました。
しかし「自立語+付属語のまとまり」という定義が分かっていなかったのです。
その定義によると、一義的に、簡単に文節を分けることができます。
例えば、「私は「それがいい」と言った」という文は、「私は/「それが/いい」と/言った」という風に分けられます。
「私は」が「言った」と結びつき、「それが」が「いい」と結びつく、というように、文の構造がよくわかります。
しかし、「「それが/いい」と」の「と」は、「それがいい」を受けているわけですから、文節としてきれいに分かれておらず、しかもカッコの中が長くなればなるほど受けるところが長くなることになります。
そういう場合を考えると、文節で分けるというのに、どういう利点があるのか、疑問がわいてきてしまいます。
「文節」概念は、橋本進吉によって作られてから、国文学者間では賛否両論あって今に至るということです。
教科書はどういう理由でこの概念を採用し続けているのでしょうか。
例えば、『日本大百科全書』には以下のようにあります。
「なお、「赤い花が咲く」において、「文節」の考え方では、「赤い」が「花が」を修飾すると説明されるが、「赤い」は「花」だけを修飾しているとみられることなどから、「文節」を構文論の基礎に置くことを疑問視する見方もある。」
「赤い」が「花が」を修飾するというのは、便宜上の妥協ですますことができるのかどうか。
その部分の判断によって、文節というものへの意見は分かれるようです。
「赤い」が「花が」を修飾するというのは、厳密でないというより、端的に誤りだと思います。
誤りを教えることが、果たして教育的に意義があるのでしょうか。
ただ、他方で、文節を使って効果を上げた実践もあるようなので、よく考えてみなければなりません。
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