好きな写真と嫌いな写真
愛知県一宮市の個人塾、いしだ塾の塾長、石田喜嵩です。
このごろ
カルロ・ジェズアルドを聞いています。
昨晩は、エアコンを付けずに寝てみました。
じっとりと汗は出ますが、寝られました。
そういえば、カモミールティーを記憶では初めて飲みました。
おいしいですね。
本がありすぎて困ります。
いらない本もないではないので、処分してしまおうか、迷っております。
まだ二十代ですが、終活といって本を処分する人の気持ちが少しわかります。
写実的な写真が嫌い
私は写真が嫌いです。
撮るのも、撮られるのも、見るのも、見せるのも、どうも気が進みません。
今はもう観る手立てがほとんどないようですが、以前『フォトグラファーズ・イン・ニューヨーク』という映画を見ました。
ニューヨークで活動する写真家たちのインタビューからなるドキュメンタリー映画です。
この映画は、おもしろかったです。
この映画に出てくる写真も、おもしろかったのです。
そこで気づきました。
私は写真が嫌いなのではなくて、写真を記録媒体として扱うのが嫌だったのです。
写実的な写真が嫌いだ、と言ってもいいでしょう。
『フォトグラファーズ・イン・ニューヨーク』に登場する写真家たちは、写真が厳密な意味では存在していないものを映すものであること、しかし同時に現実に存在する人を巻き込むという暴力性を持つことに自覚的です。
そういえば、モネやルノワールたちは、写真の発明に伴って、写真では写せない現実を写そうとしたのでした。
それはやがて、遠近法という装置をひっくり返すセザンヌやピカソらにつながっていきます。
芸術とはほとんど無縁な人々は別として、そもそも写真は、現実を写すというよりも現実を装飾したり隠蔽したり歪曲したりするのに使われてきました。
そうしたいわば悪意と写真が手を切れるのは、そもそも写真が写実を装っていないときだけでしょう。
現代の写真と言えば、ゲルハルト・リヒターのグロテスクに絵の具が塗りつけられた作品を思い出します。
リヒターは、装われた写実に亀裂を入れているように見えます。
まずはお問い合わせください!


