熱い強いヒューマニズム
愛知県一宮市の個人塾、いしだ塾の塾長、石田喜嵩です。
「沖縄青年同盟よりの抗議書」
以前も少し言及したことがある、広津和郎は、『さまよへる琉球人』という彼の小説が差別を助長する恐れがあると抗議をされ、絶版にしました。
岩波新書の『沖縄』を読むと、初めの方に紹介されていて、印象深い話です。
差別を助長すると非難されて絶版にする、という経緯自体は藤村の『破戒』の場合と同じですが、評価は反対です(部落差別と沖縄の人々に対する差別とを、同列に論じることは本来できませんが)。
藤村の場合は絶版にした時も、そのあと出された改訂版についても、更にそのあと初版が復原されたときも、非難を被りました。
広津は、抗議書を受け取ると、それを読み、自分が沖縄の人々の境遇について如何に無理解だったかを悟り、謝罪の言葉を含んだ返答を書きました。
その返答は、抗議書とともに、「沖縄青年同盟よりの抗議書」の題で『自由と責任についての考察』に収録されています。
これを読むと、大変感心させられます。
まず沖縄青年同盟の抗議書が、理路明晰であるだけでなく、冷静で、広津和郎に対する敬意を欠いた文は一つもありません。
私たちの境遇を理解してほしい。あなたならできるはずだ。全体がそういう調子なのです。
そしてそれに対する広津の返答もまた、実にきっぱりとしたものです。
自分は無理解だった。あなた方の苦境は自分の想像していた以上のものに違いない。自分はそういう苦しい問題に、傍観者の立場から生ぬるい同情をして、かえってあなた方を苦しめることになった。どうか許してほしい。そして、本土の人々には、もっと沖縄のことを知ってほしい。そういう態度です。
この広津の返事は沖縄の人々の感心と尊敬を勝ち得て、長い間語り継がれたといいます。
さらには、広津の死後、沖縄の人々の要望によって、『さまよへる琉球人』は復刻されたのです。
広津が沖縄の人々たちの反感を和らげるばかりか、尊敬をも勝ち得たのは、彼の態度によるでしょう。
そして彼の態度は、自分は文筆家としての社会的責任がある、社会をよりよくする義務があるという、彼の思想に基づきます。
彼は晩年、松川事件に相当身を入れて、一部の文壇人から呆れられるほど、それほどのヒューマニストでした。
個人的には、広津のまっすぐなヒューマニズムには強く惹かれます。
しかしその一方、現実的に見れば、彼のヒューマニズムは何をもたらすことができたのでしょう。
彼の真摯な返答にもかかわらず、今でも本土人は沖縄について知っているとは言えません。
松川事件についても、当時の文壇はさておき、今はもう忘れられてしまっています。
他方、部落差別を十分理解したとは言えない『破戒』は、今でも読まれているのです。
悲しくてやりきれない
ザ・フォーク・クルセイダーズの「悲しくてやりきれない」は、「イムジン河」が発売禁止になったために急遽作られた歌だそうです。
そう思って聞くと、全ての歌詞が「イムジン河」の歌詞と響きあうようでもあり、また何の罪もないこの歌を発売禁止にした日本社会に向けられているようでもあります。
悲しくて悲しくてとてもやりきれない……。

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