『破戒』の改訂と初版復原

愛知県一宮市の個人塾、いしだ塾の塾長、石田喜嵩です。

最近、『放送禁止歌』を読み、岡林信康の『手紙』を聞きました。
部落差別に関連する日本文学作品の中で、おそらくもっとも有名なのが島崎藤村の『破戒』です。
しかしこれは、部落問題を理解し、部落問題を扱うことが社会にもたらす影響を熟慮したものとは言えないようです。

『破戒』が出版され、改訂されるまで

『破戒』は出版されてから、紆余曲折を経ることになります。
初めて出版されたのは明治39年1です。
その23年後の昭和4年2、「現代長編小説全集」の第6巻に収録されることになりますが、このとき、全国水平社から糾弾を受け、絶版になります。
最初に出版されたときには黙過され、このときになって糾弾を受けることになったのは、全国水平社が結成されるのが大正11年3だったことによるのでしょう。
また、昭和4年に書かれた「序にかへて」の中で、藤村が「これは最早過去の物語だ」などと書いているのが、部落差別は今はもうないと言っているように読めてしまうことも、原因の一つのようです。

それから、藤村は全国水平社と協議の上、書き換えを行って、昭和14年4に改訂版を出版します。
藤村の没後もしばらく、この改訂版が読まれることになります。

『破戒』初版が復原されたあと

初めて初版の本文が出版されたのは、昭和28年5の筑摩書房の『現代日本文学全集』においてです。
筑摩書房は部落解放全国委員会6と同意を経ていたようですが、同委員会は新たに声明を発表することになります。
委員会が不満としたのは、「藤村が昭和十四年に「破戒」を改訂するに至った経緯を筑摩書房が正しく理解し、その上で「破戒」初版本の意義を評価し、更に、初版本の復原によって読者諸君に部落問題のなんであるかを、正しく訴える」ことをしなかったということです。
そして、初版復原の一年ほど後になって、『現代日本文学全集』の第13巻、岩野泡鳴・近松秋江が収録されている巻に「「破戒」初版本復原に関する声明」と題された紙が挟まれることになります。

A4の用紙1枚で、四つ折りにして挟まれていたようです。
(探しても現物の写真は出てこないようです。たまたま所持していますので、末尾に写真を付しておきます。)

部落解放全国委員会の主張

委員会は、『破戒』初版の復原に反対するつもりはないと前置きしたうえで、以下のように主張します。

『破戒』初版には、藤村が抱いている差別観が表れており、差別を拡大させることになってしまった。
全国水平社との話し合いを経た改訂版も、言葉を取り換えただけのもので、「当面、改訂によって「差別」を抹殺しようとした」に過ぎない。
「部落民に対する呼称をどのようにかえようとも、それでもって差別が消え去るものではない。藤村はその改訂によって、自己を偽瞞7し同時に部落民を瞞著8しようとした」。
「部落問題の本質が理解され、その理解のもとに「破戒」初版本が正当に評価され、その意義とあやまりが正しく読みとられるならば、われわれはむしろ「破戒」の復原に対して積極的な支持を送ることをおしまないのである」。

委員会は、藤村と筑摩書房を批判するだけでなく、この文中で部落差別問題とは何かをも指摘しようとしています。

それによると、差別が根強く残っているのは、古い偏見が消えていないからではなくて、日本がまだ民主化されていないからなのです。
戦前の、「天皇を神格化する国民感情は、直ちに部落民に対する差別賎視観念とならざるを得ない」。
敗戦後は、敗戦と占領政策のなかで、「外国人に対する卑屈な劣等感」が醸成され、同時に「在日朝鮮民族に対する差別=優越感を助長させると共に、もっとも直接的には部落民に対する差別を温存し、激化させつつある」。
さらに、「日本のマス・コミュニケーションが、積極的に差別を挑発している」との指摘も見逃せません。

『破戒』への声明

(明日へ続く)

  1. 1906年 ↩︎
  2. 1929年 ↩︎
  3. 1922年 ↩︎
  4. 1939年 ↩︎
  5. 1953年 ↩︎
  6. 全国水平社の後進団体で、部落解放同盟の前身 ↩︎
  7. 原文ママ ↩︎
  8. 原文ママ ↩︎

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