読めない本たち

愛知県一宮市の個人塾、いしだ塾の塾長、石田喜嵩です。

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暑い

昼シャワーを浴びて、汗が引くまでと思ってそのまま座っていたら、あっという間に座布団がびちょびちょになってしまいました。
外に干して、何とかなることを祈ります。
皆様も、どうか体調にはお気を付けくださいますよう。
蓮の畑に花が咲いていました。

ここのところ、少しだけ睡眠に気を遣うようにしています。
睡眠の質と量を上げるようにしたからか、なんとなく気分もよく、体も軽いような気がします。

本を返しに図書館に行きました。『吉田健一集成 別巻』、『池澤夏樹個人編集日本文学全集 日本語のために』、『レクチャー第二次世界大戦を考える 第二次世界大戦再考』を借りてきました。
昨日教室の本棚から持ってきた、安西徹雄『英文翻訳術』も読みたいし、期間限定のポイントを使うために買った朱牟田夏雄『翻訳の常識』も、アシカリ君に頂いた西村章『高額療養費制度』と、お勧めしてもらった杉山正明『遊牧民から見た世界史』も読みたいし、とても読めないのですが。

私の卒業論文

図書館の「今日帰ってきた本」の棚に、ヘーゲル『論理の学』三冊が並んでいました。
私が大学の卒業論文で扱った本です。
大学院入試の面接で、このままこの本を最後まで扱いたいというと、「一生かかるねぇそりゃあ」とおっしゃったやさしい先生のことをよく覚えています。
最後まで読んですべて理解しなければならないという強迫観念めいた思いをほぐしてくださいました。

しかし今思うと、「一生かかるね」という言葉は、その本に取り組むことをためらう理由にはなりません。
「そんなに大変なことなら考え直そうかな」と思ったとしたら、ある程度の期間でそれを“終わらせ”て、そのあと何か別のことをすることを考えていたからでしょう。
そもそも、私ははじめアドルノで卒論を書くつもりでした。
だからヘーゲルを一通り理解したら次はアドルノだと考えていたのでしょう。
しかしそれは思っていたよりかなり険しい道のりでした。
知的に多情だった私は、何かを理解すること、考えること、読むこと、その入り口に立ったばかりだったのです。

理解し終えることへの焦りのようなものは、また、理解したうえで、現代社会を把握し、批判し、進むべき道を考えるというような下心があったが故のものでもあります。
読み手として半人前でした。

結局、『論理の学』は、卒論で扱ったきり、少しも読み進めていません。
パラパラめくると、すこしだけ、当時のことを思い出します。
人間の思考のありとあらゆる様態が、この中にあるような気がしていました。
今読んでも、これを熟読したいという欲望にかられます。
果たして、そんな時が来るのでしょうか。
よほど長生きしない限りなさそうです。

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