私が読書感想文に反対するわけ

愛知県一宮市の個人塾、いしだ塾の塾長、石田喜嵩です。

私の読書感想文

昨日の日記で『遠野物語』の名を挙げたので思い出したこと。
中学三年のとき、修学旅行で行った札幌の紀伊国屋書店で、『日本霊異記』と柳田國男『妖怪談義』を買いました。
まもなく読書感想文の時期になったので、『妖怪談義』の感想を書きました。

私は、「妖怪がいるかいないかはどうでもいい、妖怪を信じる人が何を感じているのかを聞き取るのだ」という柳田の姿勢に惹かれ、妖怪というものを生み出すこの世界と人間の認知の在り方に興味を惹かれました。
しかし、当時の私にはそれを言語化する力はありませんでした。
どうにかして書いた感想文はかろうじて先生方の目に留まり、発表会で発表するよう言われました。
それで、見てもらいながら改稿するのですが、なにぶん自分が何をおもしろいと思っているかも分かっていませんので、うまくいきません。
結局、先生に言われるがまま、「環境破壊を続けると、河童に復讐されるかもしれませんよ」という結論にしました。

私の感じたものはこれではないとは思いつつ、その主張はその主張である種のリアリティを感じました。
『もののけ姫』を観ながら、その読書感想文を思い出しました。
当時の私が見たら、「これだ!」と膝を打ったかもしれません。

読書感想文を課すべきではない

この読書感想文の経験は、私が読書感想文というものに賛成できない理由の一つです。
10代の青年には、まだ自分の感情や思索を言葉の型に成型する力がないのです。
その力を養うためには膨大なインプットがいるのです。

いっぽうで、しかし、とも思います。
森有正「霧の朝」に、フランスの教育に触れて、似たようなことを書いた文章があります。
そこでは膨大なインプットと作文の練習をさせるフランスの教育が、エリート教育という消極面も持っていることが指摘されています。
いわゆる「中の下」を標準として教育を考えるなら、膨大なインプットを課すのは不適切になるでしょう。
では何をすべきか。教育とはその場合何なのか。

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