7月4日: 英単語 café のアクセント記号はつけるべきなのか
愛知県一宮市の個人塾、いしだ塾の塾長、石田喜嵩です。
今日はつい長くなってしまいました。
café のアクセント記号をめぐって
café は café やろ…?
作った英語の教材を見てもらうと、café のアクセント記号はいらないんじゃないかという意見。
塾長イシダとしては café は café やろ、という感覚。それほどこの表記に見慣れてしまって、違和感どころか cafe という表記のことを考えもしませんでした。
café という単語は、フランス語から来た外来語だから、そのままこの表記が採用されているものです。
少なくとも私自身の経験からすると、入試英語にせよ何にせよ、café の表記がよく見られます。
それに、cafe と書いてしまうと、英語の発音のルールに従えば「ケイフ」のような発音になるのが自然になりそうです。
しかし cafe という表記も、見たことはある気がします。
TIME のネット記事を調べると、café と書く記者と cafe と書く記者が混在している様子。
TIME の中では表記ゆれがあるわけです。
英語標準のテンキーやキーボードでは é が打ちづらいために、落ちたものでしょう。
実際、フランス人もSNS等では、意味が混乱する恐れがない場合はアクセント記号を省く場合があるようです。
ガーディアン誌の文章作法によると
と、思っていたところに、The Guardian Style Guide のことを教えられました。
イギリスの新聞社 The Guardian 誌が公開している文章作法です。
その"accents"の項目を見ると、以下のようにあります。
do not use them in anglicised words and names such as cafe, smorgasbord, raison d’etre and Zurich (exceptions to this are exposé, lamé, résumé, roué).
cafe, smorgasbord, raison d'etre や Zurich のような、anglicise された言葉や名前にはアクセント記号を使わないように(ただし exposé, lamé, résumé, roué は例外)。
smorgasbord はスウェーデンのバイキング形式の食事、raison d'etre はフランス語で「存在意義」の意味で、どうやらJ. S. ミルが書簡で用いて普及したもののようです。Zurich はスイスのチューリッヒです。
これらの単語が anglicise されているというのは、元の言葉と離れてしまっているということです。
raison d'etre は、フランスで使われることはあまりないようですし、他の単語は元と発音が違います。
そう、café も、フランス語と英語で発音が違うのです。フランス語では/kafe/(カフェ)、英語では/ˈkæfeɪ/(カェフェイ)です。
このことは、調べて初めて気が付きました。
結論
発音がもとと変わっているのだから、表記も英語式で良し、というのは合理的な発想ですね。
結局 cafe はアクセント記号なしが正式のようです。
Shorter Oxford English Dictionary でも、見出し語は cafe で、後ろに café が付記される形になっています。
補遺
ガーディアン誌の文章作法がおもしろい
さきの Guardian の文章作法の記事には、後ろにカッコ書きがありました。
exposé は「暴露記事」、lamé は「ラメ」résumé は「要約;履歴書」、roué は「(特に年寄りの)道楽者」という意味で、これらは元と発音は違うけれども、アクセント記号は残すというのです。
前三者については、理由は判明で、別の英単語と同じ表記になるからでしょう。
最後のは、母音が三つ続いているからでしょうか。
さらに、anglicise された地名リストについては foreign placename の記事を見よ、とあり、そこには以下のようなリストがあります。
Archangel, Basel, Berne, Brittany, Catalonia, Cologne, Dunkirk, Florence, Fribourg, Genoa, Gothenburg, Hanover, Lombardy, Milan, Munich, Naples, Normandy, Nuremberg, Padua, Piedmont, Rome, Sardinia, Seville, Sicily, Syracuse, Turin, Tuscany, Venice, Zurich.
最初二つだけ見ておきます。
Archangel はロシアのアルハンゲリスクというところで、ロシア語でも「大天使」の意味のようなので、意訳というわけでしょう。
Basel はスイスのバーゼルです。
ドイツ語では同じく Basel (バーゼル)ですが、フランス語では Bâle (バール)です。
フランスとドイツ両方に接しているので、フランス語話者もドイツ語話者も同様に多いようです。
このリストも、チェックしていくとおもしろそうです。
ちなみに
先ほどフランス語の café の発音を調べた際、辞書に語源が記載されていました。
この言葉は「コーヒー」という意味で、トルコ語の quahve に由来し、さらにこのトルコ語は、アラビア語 قهوة (quawa) に由来するということです。
コーヒーはエチオピアからアラブに、アラブからヨーロッパに広まったものなので、その言葉がアラビア語に由来するのは当然のようですが、アラビア語由来の英単語というのはそう多くないので、ちょっと興味深いところです。
表記と発音との関係を考える
「アクセント記号を使わない」で本当にいいのか?
さて、café の件は結局、和製英語はアルファベットでなくカタカナで書くのがよろしいというような話で、英単語なんだからおとなしく英語らしく書けばよいということで落着しました。
しかし私が気にかかるのは発音の問題。
cafe が「ケイフ」でなく「カェフェイ」であるのは、アクセント記号があったからでしょう。
exposé しかり、lamé しかり、英語というのはフランス語を取り入れてその単語が é で終わっていると、そこにアクセントがあることを意識するあまり「エイ」と勢いよく読むという、なんともほほえましい習性があるもののようです。
「カェフェイ」はフランス語ではもとよりないとはいえ、「カェフェイ」という音はアクセント記号のたまものです。
そのアクセント記号を省いたらどうなるか。
cafe と書いて/ˈkæfeɪ/と読むという実例ができます。
他にもそういう例ができてくるか、現にあれば、それは単なる例外を超えて、ルールを浸蝕し、英語の発音規則にさらなる曖昧さを持ち込むのではないでしょうか。
あるいはもう持ち込んでいるのかもしれません。
人の振り見て我が振り直せぬ
まあ、とはいえ、英語は所詮外国語。外国人が心配したっていらぬお節介。
日本人としては、日本と日本語がどうにか持ちこたえられるかどうかの方が大事でしょう。
そこで、今まで見た発音と表記の問題を日本語に当てはめて考えてみると、手遅れだったことに直ちに気づきます。
ここまで「新かなづかい」が広まった今、「伝統的かなづかい」に戻るのはもう無理だろうという思いが先立つ。ただ、「少しづつ」を「少しずつ」と書くとき、「いづれ」を「いずれ」と書くとき、会話文の「それぢゃあ」を「それじゃあ」と書くとき等々、背筋に気味の悪い感覚が走るのはたしかである。「かくして」の変形が、「かうして」ではなく、「こうして」となるのに神経が逆なでされるのもたしかである。まさに、かくして、どこかに妥協線というものを打ち立てられないかと思わずにはいられない。「新かなづかい」も、ところどころ「伝統的かなづかい」を残している。「私は本を読む」と書き、「私は本お読む」とは書かない。「続く」は「つづく」と書き、「つずく」とはならない。それでいながら「大地」は「だいち」と書き、「地面」は「じめん」である。誰もが指摘することだが、わけがわからない。
水村美苗『増補日本語が滅びるとき』ちくま文庫、2015年
最初は二文だけ引用するつもりだったのが、ついつい長くなってしまいました。
が、この方がまだわかりよいかと思います。
逆なでされる神経の欠けたさみしさ
正直なところ、水村さんほど「気味の悪い感覚」を感じられないのがさみしい。情けない。
日本人、日本の文化、伝統、精神、先人の息遣い。そうしたものに対する感覚を、それゆえ敬意を、私たちは失いつつある。
失ってしまう一歩手前で、もう後戻りできなくなっている。
個人的な体験を言えば、私が最初に「気味の悪い感覚」を感じたのは、井伏鱒二の『山椒魚』を読んだ時です。
読書感想文で指定されて読む年はとうに過ぎた二十四、五の私は、この名作をはじめて「伝統的かなづかい」で読んで、深い感銘を受けました。そして二度目に、「新かなづかい」で読んでみると、その感じ方の違いに驚いたのです。
あくまで感覚の話なので、伝えづらいですが、美術館で受けた感動を図録で受けることができないことや、オーケストラの演奏とその録音の違いに近いでしょうか。
これじゃ現代人が井伏を楽しむことは難しい。三島由紀夫や谷崎潤一郎なども同じでしょう。
(興味深いのは、新かなで読んでもさほど違和感のない人がいることで、その筆頭は国木田独歩ですが、まあ、この話はまたにしましょう。)
「隴西
の李徴
は博学才穎
、天宝の末年、若くして名を虎榜
に連ね、……」とは、いまだに教科書に載る名作中島敦『山月記』の冒頭ですが、これが全部ひらがなになっていると、まったく面白くない。それに近いでしょうか。
ろうさいのりちょうははくがくえいさい、てんぽうのまつねん、わかくしてなをこぼうにつらね……。
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