ことを始めていない人間には必要な勉強などない
愛知県一宮市の個人塾、いしだ塾の塾長、石田喜嵩です。
五十年の人生に間に合え!
本当に着手する人間と、どうせ着手も何もしやしない人間とは、一見して直ぐわかる。どこで分かるかというと、本当に着手する人間は論より証拠もうちゃんと着手している。どうせ着手しない人間は論より証拠まだいまだに着手していない。1
昔、インターネットでこの言葉を見かけてドキッとしたのをよく覚えています。
「語学の神様」こと関口存男の、「五十年の人生に間に合え!」という短いエッセイにある言葉です。
『セレクション関口存男 ニイチエと語る』に収録されています。
今度はふと、この「論より証拠」よりも「五十年の人生に間に合え!」というタイトルの方が頭にピンと来て、読み返してみました。
短いエッセイですが、いい言葉がちりばめられています。
引用いくつか
「不備のまま着手するのが畢生の事業である。あらゆる偉大なる仕事はすべて不備のまま着手されたのである」
「手落ちなく準備して「おもむろ」に取り掛かった畢生の著作なんてものは、ちょっと頁をめくればすぐ大体感心できる」
「始めるべきことをはじめもしない人間に、必要な勉強なんてものはない」
「焦燥に駆られている、なんてのが最もおかしな状態である」
語学と人生
語学を研究したことで、「そもそも人生というもの」が面白くなったという人の言葉らしく、語学の研究ということを超えて、敷衍して、一般的に言っているという以上に、語学の研究を超えたところに身を置いて、語学にも他のことにも言えることをあっけらかんと言っているという感じです。
なお、「そもそも人生というもの」が面白くなったという述懐は、「五十年の人生に間に合え!」から12年後、「遅読の讃」という文に見えます(こちらは『ドイツ語「関口文法」へのいざない 第1巻 - 関口存男の言葉』に収録されています)。
二つの文章に共通して、「大根を植える」というのが例として挙げられているのが面白いです。
大根を実際に栽培して苦労した経験があったのでしょうか。
- 旧かなづかいを新かなづかいに直し、今では普通ひらがなで書くものを漢字からひらがなに直しました。以下同様。 ↩︎
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